氏名 |
重視したスタイル |
残した言葉 |
徳川家康 |
我慢・辛抱を重ねるスタイル
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「東照公御遺訓」
人の一生は重荷を負いて遠き道を行くが如し
急ぐべからず 不自由を常と思へば不足なし ・・・
幼少の頃から艱難辛苦を舐め尽くし、耐えに耐え、待ちに待つ事で天下を獲った彼の生き様そのものを表す遺訓です。
人質として東へ西へと動かされ、自慢の息子の切腹を受け入れ、同盟相手の家来に天下をさらわれ・・・と、常人ならば途中でキレてしまうであろう状況に耐え続けました。
「思い通りに運ばない状況こそが当然の姿と思って対処すれば、大方の事は上手く運ぶ」という人生観(仕事観)を、この世に残していく者達に示しました。
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伊達政宗 |
チェックを怠らない
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仁に過ぐるは弱くなる
義に過ぐるは固くなる
礼に過ぐるは諂い(へつらい)になる
智に過ぐるは嘘をつく
信に過ぐるは損をする ・・・
「もう少しだけ早く生まれていれば・・」と、外交・軍事・治世など全ての面でその実力を高く評価される東北の英雄が残した遺訓です。
型破りな逸話が残る青年時代から時を経て、最後の最後に行き着いたスタイルは、『バランス重視』です。
彼が最後に行き着いた人間観を表すものとして、
「何事も偏ったらダメだ。一般的に人の好ましい資質として考えられる、『仁』『義』『礼』『智』『信』についても同様だ。
本質を見よ。常に自分を疑い、偏りや偏見を無くすように」 といったメッセージが見て取れます。
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福沢諭吉 |
オリジナリティの追求
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『独立自尊』
この世の生きた自分自身や、残して行く者へのメッセージを表す遺訓・墓碑・辞世の句ですが、あの世まで持っていこうとするものが戒名です。
平等思想を貫き、それを侵そうとする人に対して敵愾心を燃え上がらせた彼のキャッチフレーズ的な言葉が「独立自尊」です。
そして、あの世に持っていく唯一も物である戒名の中にも用いました。
彼が生きた時代を考えれば、『天は人の上に〜』の言葉は、
「人間は皆同じ。生まれた場所や家が少し違う事が何だというのだ。生まれ持った利権を活かして立ち回る奴らこそが卑しいのだ」といった、権力に対する批判の気持ちからのものであった事が想像できますが、
これを現在に引き直せば、
「それぞれが与えられた能力に応じ、自由な発想で自分を表現すべし」といったものになるのではないでしょうか。
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大石内蔵助 |
愛・優しさで人に接するスタイル
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「お先に」
呼び出しを受けて切腹の場に向かう彼に、「おっつけ後から参ります」と声を掛ける部下に対して微笑みながら返した言葉とされています。
死がすぐ間近に迫るその瞬間に、自分を励まそうとする部下を逆に励ます事になる言葉を返しました。
「心配するな。俺が先に行って待っていてやるから。恐れる事なくその場に臨め」と、苦楽をともにした部下への愛情を示しました。
様々な人の思いをなだめすかしてベストを尽くし、お家再興の思いが断たれた後は主君の恨みを晴らす事のみを追い続けた彼には、これから行う事への責任の取り方に関する明確な覚悟ができていました。
それを承知で事を成し、本懐を遂げたからには責任を取るのみでした。
今、その時やるべき事にベストを尽くした彼ほどの男が、部下や部下の家族の行く末を考えないはずはありません。
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W・チャーチル |
ヘルスケアを怠らないスタイル
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「何もかもウンザリしちゃったよ」
91歳で大往生と遂げる際に娘に掛けた言葉とされています。
抜群の指導力を発揮して対ドイツ戦を勝利に導いた後、斜陽していく過程の大英帝国を懸命に切り盛りし続けた彼の弱点は、伝統的に受け継ぐ躁うつ症状でした。
疲れを溜める事が心身両面に悪影響を及ぼす事を熟知していた彼は、どんな時でも昼寝を欠かさず、自己の心身を健全な状態に保つ事に腐心していました。
懸命に支えた大英帝国の落ち込み振りを目の当たりにし、「気になって仕方がないけど健康状態が優れないし、もうこの辺で・・」といった気持ちからの言葉だったのではないかと感じます。
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