氏名 |
重視したスタイル |
残した言葉 |
A・カーネギー |
周囲を巻き込むスタイル
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「ここに、自分より賢い人々を周囲に集める術を知っていた、ひとりの人間が横たわる」
日本にはあまりない習慣ですが、アメリカにおいてはお墓に墓碑を彫り付ける事が頻繁に行われます。
墓碑に彫るくらいですから、自分で自分をどのように評価していたのか?他人にどう思われたいのか?そんな最後の思いが色濃く映し出される言葉であるはずです。
貧しい移民の子として育った彼には専門的な学問面での知識は乏しく、必要なものがあれば、それがある所から引っ張ってきてアレンジする事、他人に任せる事で一代にして巨額の財をなしました。
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高杉晋作 |
「仕事はゲーム」と捉えるスタイル
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「おもしろき こともなき世を おもしろく」
墓碑に彫ったわけではありませんが、日本のそれなりの立場にあった人達は、最後の瞬間に「辞世の句」を詠んで自分の人生を総括します。
幕末の風雲児と呼ばれて短い生涯を駆け抜けた彼のスタイルは、旧来のものに縛られず柔軟な発想(遊び心)をもって仕事を行いました。
吉田松陰を師と仰ぎ、彼を死に追いやった幕府を憎んで闘志を燃やしますが、優れない健康状態や、やがて訪れる自分の死を受け入れ易い考え方(所詮この世はかりそめのもの・・)を身に付けて実践しました。
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黒田如水 |
一歩引いて距離を置くスタイル
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「人に媚びず、富貴を望まず」
この世に残していく者達への最後の教えを与えるものが遺訓です。頭の回転が速く当代一の戦略家として知られた彼は、時の権力者のために一生懸命に働いたにも関わらず天下への欲を疑われ、自ら表に立つ事を避けるようになります。
自分が実現したかったスタイルを、可愛くて心配で仕方ない部下や息子に託したのかもしれません。
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浅野匠頭長矩 |
開けっぴろげて隠さないスタイル
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「風誘う 花よりもなお 我はまた
春の名残を いかにとやせん」
この辞世の句を読んだ大石内蔵助は、主人の無念を晴らす事を決意したと言われています。
「名残」「いかにとやせん」の部分を普通に解釈すれば、憎い吉良への思いを果たせぬままに腹を切る事へのこの上のない無念の情を表しています。罪を問われて切腹する身であるにも関わらず、ここまであからさまな最後のメッセージを受け取れば、部下としては固い決意を抱いたことでしょう。
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織田信長 |
信じるものにこだわり貫く流儀
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「是非に及ばず」
最終仕上げ段階に入った天下統一を前にして、部下によって謀反を起こされ死を覚悟した最後の言葉とされます。
最短距離で進むために苛烈を極める部下操縦を繰り返し、自分のスタイルを貫く事に絶対の自信を持っていましたが、そんな自分のスタイルへの反発が大きい事も知っていました。
それを目の当たりにして「それはそれでしょうがない」との思いからの言葉であったのではないでしょうか。
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