家臣団筆頭の佐久間信盛を追放した「折檻状」
織田信長
- 氏名
- 織田信長
- 立場
- 『天下布武』を目指して並み居る強豪を次々と倒し、家臣団形成や商業政策、軍備や戦法の中に新しいものを取り入れ続ける
- 主な評価
- 目的達成のためには手段を選ばない破壊者。革命家。
- 神仏や伝統的な決まりごとや権威を軽視し、占いは一切信じず自分の目のみを信じる
- 徹底した能力主義・効率主義のトップダウン専制型リーダー
◆ 有名な出来事・人物背景 ◆
- 比叡山焼き討ちをためらう明智光秀に対し、「あんなものは金と木で出来ているのだ」
- 当時としては画期的な『兵農分離』を行い、1年を通じて戦う事ができる行軍スピードが速い軍団を形成
- 地球が自転している事を理解した最初の日本人
◆ 「折檻状」 −家臣団NO.1を追放− ◆
若い時の絶対絶命のピンチをともにし、その後も殆どの戦いに参加した佐久間信盛に対し、その仕事振りが気に食わない言って折檻状を叩きつけて高野山へ追放しました。
「織田家直轄領が小さすぎたために部下から取り上げる必要があった」「自分に意見する事があった佐久間がとにかく気に入らなかった」など、様々な理由が考えられていますが、
「追放する事が目的ではなく、佐久間に対する再起を促すと同時に『お前達の働きぶりを見ている』といった部下達へのメッセージだった」とする説を採ります。
- 最後の仕上げに掛かった天下統一へ向けて、部下達の緩みがちな心を引き締める
- 「情意を挟まず出した結果で判断する」というメッセージを部下達に送る
- 若い時から苦楽をともにした佐久間にもっと頑張って欲しい
- 同盟者である徳川家康への援軍役を投げ出して逃げた事が許しがたかった
これらもってして最大規模の軍団長の責任を問い、十九ヶ条の「折檻状」を叩きつける。
- 「本願寺を大敵と考えて守りに専念し、5年もの間になんの実績も上げていない」
- 「新参者の秀吉や光秀は必死に頑張ってくれているのに・・」
- 「膠着状態ならどうすればいいのかを聞きにくるべきなのに、何の音沙汰もない」
- 「金に汚く私腹を肥やし、織田のために家臣を増やすつもりがない」
- 「息子は最悪のバカだ」
- 「三方ヶ原で戦いもせず逃げ、その後の平然とした態度は許しがたい。討ち死にした者や徳川に申し訳がたたない」
- 「敵をやっつけてこい。そうでなければ討ち死にしろ。それができないなら高野山にでも行って頭を丸めろ」
佐久間は佐久間なりの考えで様々な方法を取って頑張っていましたが、人の目を惹く目立った活躍がない事は事実でした。
奮起を促すつもりだった信長の思いに反して佐久間親子は高野山へ入り、戦いの場から去る事を選択してしまいました。(息子はその後職場復帰)
天下統一の最終局面を前に、再度気分の引き締めと評価方針の周知を目的として「叱られ役」を期待した佐久間は叱られっ放しで終ってしまい、この事が本能寺の変につながっていきます。
佐久間に代わり軍団長になった明智光秀は、未だ確とした領地にはなっていない中国地方への国替えを命じられて佐久間の一件を思い出し、苛烈を極める信長のマネジメント方針に恐れを抱きます。
そして、一気に爆発してしまいました。
◆ 織田信長の仕事のやり方、取り組み方 ◆
信長の功罪は様々です。もし信長が出現していなければ、戦国の世は大きく延びてやがては欧州列強のえじきになっていたのではないかとする人もいます。
従来の考えや思考手順に縛られず、より良い結果を出せると思うものは何でも取り入れた信長の「進取・現実」の基本姿勢は評価され、軍備や軍団編成、経済政策、治世、政治的配慮に表れています。(オリジナリティの追求 引くべき時は退く)
まずは武力によって天下を統一する事で戦いの無い世の中を作り出し、それをもって民衆に平和をもたらすといった基本方針を徹底した事が非道呼ばれる戦後処理などに表れています。(心のブレーキを外す)
佐久間に対して送った折檻状の中では、「成果・事実のみをこの信長が自分の目で判断する」という、苛烈だけれども誰にとっても分かり易く公正な評価方針、織田家中の唯一の出世の道を示し、組織内の透明性を高めています。(隠さないオープンスタイル)
ただ、本人にとっては使い分けているつもりでも、内と外への愛情の使い分けが部下には伝わらず、透明性が高すぎる故に、それまでの行為をもってして判断する部下を追い詰め過ぎてしまいました。
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